2017年6月22日木曜日

北斎富士を見る

富士山を描いた絵画の中でこれほど有名な絵はほかにありません。19世紀に起こった“ジャポニスム”によって、この作品は海外の人々にも知れ渡り、“日本の名峰ここにあり”という印象を強烈に植え付けました。ここでは、そんな北斎が描いた名作『冨嶽三十六景』の各絵を、どこから見て描いのたか探ります。
大胆で斬新な構図と、鮮やかな彩色によって今なお高い人気を誇るこの作品は、題名どおり当初は36図が出版されました。しかし、大変な好評を博したことから後に10図が追加され、最終的には全46図のシリーズとなったのです。
 
場所、季節、気象条件によって刻々とその表情を変えて行く富士山の姿を、類い稀なる想像力と演出の妙によってさまざまに描き分けた北斎。彼が「視覚の魔術師」と呼ばれる所以(ゆえん)が存分に発揮された快作と言えるでしょう。というのも、作品のすべてについて、彼が実際の風景を見て描いたわけではないからです。北斎は、伝統の画題や過去の名所図絵に見られた構図を巧みに再構築して、この富士山の見える46か所の風景画を描き出しました。
 
江戸庶民による富士山信仰の高まりと同時に、お伊勢参りをはじめとする旅ブームの影響もあり、『冨嶽三十六景』は江戸に居ながらにして諸国漫遊の旅気分を満喫することのできる、格好の浮世絵として生み出されることになったのです。

お江戸・日本橋から!

「江戸日本橋」
江戸の中心だった日本橋。その橋を画面の手前に描き、川の向こうに江戸城を描いている。遠近法を駆使した一作。

現在の、東京湾【海ほたる】辺り?

「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」
題名の「神奈川」は宿場のあった現在の横浜市神奈川区あたり。船は房総から江戸に鮮魚を運んだ押送船(おしおくりぶね)であることから、現在の「海ほたる」近辺の情景か。

名勝、江の島からは……


「相州(そうしゅう)江の島」
江の島は江戸時代の行楽地として、また弁財天信仰の聖地として人気の場所だった。引き潮を見計らって島に渡る人々を長閑(のどか)に描いている。

険しい籠坂峠では…

「甲州三嶌越(こうしゅうみしまごえ)」
三嶌越とは甲府から籠坂峠(かごさかとうげ)を越え、御殿場を通って三島へと抜ける街道。これは峠付近にあった大木を象徴的に描き、見る者を惹き込む。

名歌で知られる田子ノ浦

「東海道江尻(えじり)田子の浦略図」
山部赤人の名歌で知られる田子ノ浦から望む富士山。今は工場越しの風景だが、かつては名勝として知られた。浜辺では塩焼きする人々が描かれている。

なんと富士山頂も?

「諸人登山(しょにんとざん)」
当時大流行していた富士登山を象徴する一枚。山頂付近の岩室には富士講の人々。富士の峰が描かれない唯一の作品。

御坂峠から見た河口湖

「甲州三坂水面(こうしゅうみさかすいめん)」
現在の御坂峠(みさかとうげ)から見た河口湖と富士。不思議なことに岩肌が見える夏の富士なのに、水面に映る逆さ富士は雪景色。北斎の遊び心か。

河口湖辺りからの風景?

「凱風快晴(がいふうかいせい)」
シリーズ屈指の傑作として名高い通称「赤富士」。どこから見た風景かははっきりしないが河口湖付近ではないかと言われている。

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