2017年3月18日土曜日

北斎肉筆画

浮世絵の巨人として名高い北斎。日本人にとって北斎と言えば、『冨嶽三十六景』に代表される浮世絵版画の絵師であり、欧米の人にとって最も有名な日本画と言えば、同シリーズの『神奈川沖浪裏』ということになり―当然、北斎=版画のイメージが浸透しても仕方がない状況ではあるのですが……。
世界で最も著名な日本の画家であるにも拘わらず、北斎=版画家という私たち日本人が思い描く北斎像は、あまりにチープすぎるのではないでしょうか。
本当のところ、北斎の魅力は版画だけを見ていたのでは決してわかるものではありません。美人画を含め、花鳥画や風景画など数多くのジャンルを手がけた北斎の作品の中でも取り分け美しい作品として、もっと認識されるべきは彼の肉筆作品だと言えるのです。
スクリーンショット 2017-03-15 15.42.40葛飾北斎『竹林に虎図』絹本着色 73.0×31.5㎝ 天保10年(1839) 個人蔵
北斎期に描かれた多くの美人画に見られるように、この時期の肉筆画の線描には圧倒的な技術力に裏打ちされた力強い表現が楽しめます。たとえば『花和尚図』。水滸伝に出てくる英雄を描いたこの図版は60代とやや晩年に差し掛かりつつある「北斎為一」と名乗った時期の肉筆画ですが、勢いのある直線と大胆なまでに誇張された力強い曲線の織り成すコントラストが、北斎の筆力の確かさを物語っています。
スクリーンショット 2017-03-15 15.41.54 葛飾北斎『花和尚図』絹本着色 105.5×42.4㎝ 文政10年(1827)頃 個人蔵
一方、『冨嶽三十六景』と同じ画題である『不二図』のほうは北斎が88歳の最晩年に描いた肉筆画。よく見ると、双龍に見立てられた松の幹の線描は、非常に細かい破線によって表現されています。これが何を表すか……。
WR110-580-028葛飾北斎『不二図』 絹本着色 28.7×37.6㎝ 弘化4年(1847) 個人蔵
さすがの北斎も老いには勝てず、すでに一本の長い線を一気に引く力を失っていたのです。しかし、その悲しい肉体的な制約をも笑い飛ばすかのように、巧みな筆さばきによって震える線を効果的に利用してしまうのが北斎の実力。
この類稀な天才絵師の真骨頂は、こうした感動的な表現を垣間見ることができる、肉筆にこそ記されているのだということがご理解いただけたでしょうか。

『すみだ北斎美術館』に北斎の肉筆画を見に行きましょう!!

住所/東京都墨田区亀沢2-7-2 地図
TEL/03-5777-8600 (ハローダイヤル)
会館時間/9:30~17:30(入館は閉館の30分前まで)
料金/[常設展]一般  400円(団体320円)高校生、大学生、専門学校生、65歳以上 300円(団体240円)
休館日/月曜日

2017年3月11日土曜日

写楽

浮世絵の魅力のひとつにいわゆる大首絵があります。これはもともと、錦絵が誕生し遊女や歌舞伎役者を描いた浮世絵がブロマイド化して行く過程で誕生した浮世絵の一形態。贔屓の役者の特徴的な表情や遊女の美貌を間近に見たいという欲求に答えた浮世絵版画です。
この大首絵をもっとも得意とした絵師が東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)であることに異論を挟む人は少なぃでしょう。中でも最も有名なこの作品は、悪党が今まさに大金を狙って相手に襲いかかる一瞬を、これでもかと極端に変形し、誇張した大胆不敵な表現で見る者を圧倒。懐からぬっと出された両手が一種の不気味さをも演出し、「いよ!これぞ役者絵の神髄」と思わず声をかけたくなるほどです。
広重-min東洲斎写楽『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』大判錦絵一枚 寛成6(1794)年 写真提供/Bridgeman Images(PPS通信社)
大首絵の特徴として、絵の描かれる範囲が狭いために、役者たちの場面状況がわかりにくいという弱点がありました。しかし、写楽はそれを逆手にとって顔の各部を象徴的にデフォルメし、さらに特徴的なニュアンスを手に演出させることで、際立つ個性を存分に見せつけたのです。
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舞台上の「決定的瞬間」を捉え、わずか10か月の短期間で姿を消した絵師が東洲斎写楽。役者の心理とその人柄の内面までをも鋭利にえぐり出した写楽の作品は、人々の度肝を抜き、一大センセーションを巻き起こしました。

2017年3月7日火曜日

北斎画の真骨頂は風景画

北斎画の真骨頂は風景画にある。これもまた真理です。少なくともこれほどまでに〝風景画の北斎〟として認知されたのですから……。
彼は風景画の中に巧みに西洋の技法を取り入れつつ、独自の構図を編み出しました。瀧ひとつを描くにも、どう見てもありえない構図、さらに眼では見ることができない水の動きまで、類稀な想像力によって視覚化したのです。水の静止画など、見ることすらできなかった時代にそれを成し遂げたその眼にこそ、北斎という人のすべてが存在していたのかもしれません。北斎は、連続した動きを絵として定着することのできた天才でした。

『諸国瀧廻り 木曾路ノ奥阿彌陀ヶ瀧』

スクリーンショット 2017-01-30 11.12.07大判錦絵 天保4年(1833)写真提供/Bridgeman Images(PPS通信社)
『諸国瀧廻り』は全8図によって構成され出版されました。各地の名瀑を北斎が描いたシリーズですが、単なる名所絵という範疇にはおさまらず、そこには何かもっと別の世界が広がっています。これも北斎の想像力のなせる業なのでしょうか。

有りえないリアリティ

流れ落ちる瀧の水や迫りくる波頭など、眼には見えない不定形の事象を、北斎によって眼前に提示された当時の人々の思いはいかなるものだったのでしょうか。静止画やコマ送りといったあらゆる映像体験に慣れてしまった私たちには、恐らく想像もつかないほどの衝撃だったのではないでしょうか。地上の森羅万象を捉えようとしたその眼とともに北斎の自然描写を特徴づけるものに、一風変わった構図表現があります。有名な『冨嶽三十六景』の中の一枚である『御厩川岸より両国橋夕陽見』にもそれが表されています。

『冨嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見』

スクリーンショット 2017-01-30 11.14.42横大判錦絵 天保2〜4年(1831〜33)写真提供/Heritage Image(PPS通信社)
一見、西洋のパースペクティブを素直に取り入れた構図に思えますが、実はその西洋の遠近法に従来の東洋画法―すなわち遠くのものを上に積み上げ画面を徐々に立ち上げていくという技法をミックスさせ、この魅力的な風景をつくり出しているのです。つまり渡し舟までの視線は水平なのですから、当然水平線は画面の中で下に下がらなければならない。しかし対岸の風景や遠くの富士を見せたいので絵の真ん中より上は画面を上方へ立ち上げているのです。こうすることで視覚的には有り得ない奇抜な構図が、絵としては動きのある魅力的な表現になるというわけなのです。北斎が、〝視覚のマジシャン〟といわれる所以です。

『鷽 垂桜』

スクリーンショット 2017-01-30 11.18.26中判錦絵 天保5年(1834)頃 写真提供/Bridgeman Images(PPS通信社)
北斎はまた多くの花鳥図を表していますが、ここでもありのままの自然を描写してはいません。少なくともその構図においては……という注釈つきですが。

『鯉亀図』

スクリーンショット 2017-01-30 11.27.03紙本着色 27.6×92.4㎝ 文化10年(1813)頃 埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵
絵の左端には「これまで愛用した亀毛蛇足の印章を譲る」という款記があります。
-和樂ムック 北斎の衝撃より-

名所江戸百景広重

『名所江戸百景』は自らの生まれ育った江戸の風情を、創意に富んだ縦絵の構図で様々に切り取った歌川広重60歳からの連作です。
当初は100枚の予定でしたが、あまりに好評を博したため亡くなるまでの3年で計118枚が制作されました。中でも、突然の夕立に襲われたことを想像させる隅田川界隈の叙情的な風景を斬新な手法で切り取ったこの作品は、広重の才能の高さを如実に表した傑作中の傑作です。
DMA-009 【本画像】大はしあたけ080-min歌川広重『名所江戸百景大はしあたけの夕立』大判錦絵一枚 安政4(1857)年
高浜市やきものの里かわら美術館蔵
墨の濃淡の線で表された雨と、その雨量を物語るかのように霞む対岸の安宅の遠景。さらには夕立が出し抜けに襲ったことを表現した橋上の人々の慌てた様子等々、静止画でありながらまるで動画のように見える広重流トリックが見る者を魅了します。

摺師や彫師の技も見所!!

濃淡の墨で表現された雨は角度をずらした重ね摺り。広重の発想と筆さばきもすごいですが、この線を彫り出す彫師の力量ももの凄い!!
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夕立雲の「当てなしぼかし(版木を濡らして絵具をぼかす技法)」とともに、遠景の安宅の家並みのぼかし具合も絶妙。摺師の技も見所です!
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歌川広重『名所江戸百景大はしあたけの夕立』

隅田川にかかる大橋(現在の新大橋のことで当時は現在よりも下流に位置)と対岸の安宅周辺の夏の情景を描いたシリーズ屈指の名作。ゴッホが模写したことでも知られています。橋と川岸が斜めに交差する構図の妙と繊細な雨の描写が素晴しい一枚。

北斎と広重のライバルストーリーも併せていかがですか?