2016年8月26日金曜日

小布施 北斎館

 葛飾北斎が89歳(!)にしてなお盛んな制作意欲をもっていたことを表す、信州・小布施(おぶせ)「岩松院(がんしょういん)」の天井画『八方睨(はっぽうにら)み鳳凰(ほうおう)図』を拝すると、小布施における北斎の足跡はますます興味深く感じられるようになってきます。(岩松院の記事はコチラ
 次に向かうべきは、北斎が小布施で描いた肉筆画を中心に展示している美術館「北斎館」。ここには、北斎が2度目と3度目に訪れた時に描いた、祭屋台の天井画が展示されています。

85歳で小布施を再訪した北斎は、翌年も訪れ、祭屋台の天井絵を制作した

 小布施ではかつて夏祭りの際に、各町が一基ずつ祭屋台を巡行させていたそうです。
 85歳のころ、小布施に半年ほど逗留(とうりゅう)した北斎は、まず東町祭屋台の天井絵『龍図』と『鳳凰図』を描いています。
 しぶきを上げる波濤(はとう)が取り囲む中、燃えるような紅地に飛翔(ひしょう)する龍と、暗い藍を基調にした背景に鮮やかな朱色で彩られた鳳凰。その筆致には『八方睨み鳳凰図』へとつながるイメージがすでに見られます。
写真は「北斎館」に展示されている上町祭屋台の天井絵・怒濤図『男浪』。上町祭屋台は高井鴻山によって新調されたもので、北斎はその天井絵を喜んで引き受けたことがうかがわれる。
 翌年、再び小布施を訪れた北斎は上町祭屋台に取り組み、怒濤(どとう)図『男浪(おなみ)』と『女浪(めなみ)』で、砕け散る波しぶきや逆巻(さかま)く大波を見事に表現。
 その力強さは世界的名作『神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)』を彷彿(ほうふつ)とさせながら、肉筆で描かれた怒濤図は、繊細で奥深い力感をたたえていて、つい見入ってしまうような迫力があります。
 さらに、上町祭屋台には、北斎が生涯にプロデュースした唯一の立体造形である『水滸伝(すいこでん)』に登場する軍師「皇孫勝(こうそんしょう)」と「応龍(おうりゅう)」の飾人形があり、天井絵の完成に1年、飾人形の完成までには3年を費やしたとされています。
 「北斎館」に展示されているふたつの祭屋台の天井絵はいずれも複製なのですが、上町祭屋台の怒濤図『男浪』『女浪』の実物は見やすい位置に展示されていて、北斎の下絵をもとにして高井鴻山(たかいこうざん)が彩色したと伝わる縁絵までじっくり鑑賞することができます。この高井鴻山こそ、北斎と小布施を結ぶことになった人物なのです。
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左は東町祭屋台の天井絵『鳳凰図』、右は同じく『龍図』。いずれも確かな筆致で勇猛かつ華麗な姿が表現され、『鳳凰図』は後に北斎が手がける「岩松院」の天井画との類似点が多い。

北斎を小布施へ招いた豪農商の高井鴻山

 小布施の豪農商の家に生まれ、京都で学問や芸術を学んでから江戸へ出て、幅広い人脈を築いていた高井鴻山と北斎が知り合った所以については様々な説があります。中には、小布施に本店を持つ豪商「十八屋(じゅうはちや)」で北斎が借金をしていたことが縁だという説まであって、真相は謎のまま。
 それよりも気になるのは、北斎はなぜ80歳を過ぎてから、交通の便の悪い小布施を4回も訪れたのかということです。
 たとえ馬や駕籠(かご)を使っていたとしても、信州への長旅は老体に堪(こた)えたはず。その理由を解き明かすカギは当時の時代背景にありました。
 
 北斎が80歳を過ぎたころ、世の中は天保4(1833)年から続いた「天保の飢饉(ききん)」で混乱を極めていて、幕府は「天保の改革」を断行。綱紀粛正(こうきしゅくせい)のために贅沢(ぜいたく)を禁じ、歌舞伎や音楽などの娯楽とともに浮世絵にも厳しい制限が下されていました。
 そのため、思うように絵を描くことができなくなった北斎は江戸を離れることを決意。かつて知遇を得ていた小布施の豪農商・高井鴻山が父の死により帰郷し、家を継いでいたこともあり、招きに応じて小布施を目ざしたのです。
151014 0305これが「北斎館」に展示されている、絢爛豪華な東町祭屋台。天井絵は上に写真を掲載している『龍図』と『鳳凰図』。

北斎館

 昭和51(1976)年に開館した北斎館は、北斎が80歳を過ぎてから熱中した肉筆画をはじめ、北斎が手がけた2基の祭屋台や天井絵など、小布施で育まれた北斎の画業を鑑賞することができる美術館です。北斎の画業をたどる特別展にも定評があり、北斎を訪ねる小布施の旅には絶対欠かせません。
写真/モダンなたたずまいの「北斎館」の入り口では、北斎自画像のレリーフが迎えてくれる。
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長野県上高井郡小布施町小布施485 地図
☎026-247-5206 
北斎館ホームページ
開館時間/9時~17時(5月1日~8月31日は18時まで、9月1日~11月3日は17時30分まで、1月1日は10時~15時。受け付けは閉館30分前まで) 休館日/12月31日 臨時休館あり 
入館料/特別展1,000円 
アクセス/長野電鉄「小布施」駅より徒歩約10分



151014 0085「高井鴻山記念館」に掲げられている北斎の自画像。

高井鴻山の存在があったからこそ、北斎は小布施へ

 葛飾北斎(かつしかほくさい)が初めて小布施(おぶせ)を訪問したのは83歳のころで、小布施の豪農商・高井鴻山(たかいこうざん)は当時37歳。ふたりの年齢は祖父と孫ほど離れていたのですが、互いを認め合い、やがて「旦那さん」、「先生」と呼び合うような親密な信頼関係を築いていったことが伝わっています。

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 そんなふたりの様子を今に伝えてくれるのが、「北斎館」から目と鼻の先にある「高井鴻山記念館」です。
 北斎が訪れた当時の建物である離れは、鴻山が北斎のアトリエとして建てたと考えられていたのですが、絵を描くために設けられたにしては狭すぎる上、建築の年代が合わないなど不自然な点が多々あるため、今も研究が進められている最中だとのこと。
 しかし、ここに逗留(とうりゅう)していた北斎は日課として毎朝、獅子の絵を描いており、描き終わるまでは来客があろうと決して応じなかったというエピソードや、鴻山の祖父が建てた「翛然楼(ゆうぜんろう)」の縁側で、いつも鴻山と北斎が腰かけて話していたことは確かで、北斎の小布施での様子も徐々に明らかになってきています。
この「翛然楼」の縁側で、北斎と鴻山は親しく語り合っていた。
 「翛然楼」は、信州にありながら京間(きょうま)風の造りになっていることが特徴で、2階に上がると、障子の外に雁田山を望む風景が広がり、まるで京都の町屋から東山を見渡すかのような風情。そこに鴻山の粋な一面を垣間(かいま)見ることができます。
 鴻山は、京都や江戸に遊学し、儒学などの思想や、書、浮世絵などの絵画も修養。そのため、豪農商であることよりもむしろ文化人や趣味人としてその名を知られ、幕末から明治維新にかけて数多くの文人墨客(ぶんじんぼっかく)や志士が来訪した記録が残っています。
 その中には北斎を筆頭に、思想家で松代(まつしろ)藩士の佐久間象山(さくましょうざん)、書画家で志士の藤本鉄石(ふじもとてっせき)などがいて、彼らをもてなした「翛然楼」は、さながら文化サロン的な役割を果たしていたようです。
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左/北斎の足跡を想像するのにふさわしい「高井鴻山記念館」の庭。右/「翛然楼」2階は鴻山が文人墨客をもてなしたサロン。当時の空気を感じることができる。

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北斎と鴻山の固い絆の証がそこかしこに

 高井鴻山の功績を紹介する記念館を見学すると、書画が数多く展示され、鴻山が得意としていた妖怪画も見られます。
 鴻山は実は北斎の門下生でもあって、師弟の合作のほか、北斎の手本を模写したものもあり、中には作者未詳ながら北斎や応為(おうい)の手によるものではないかと思われる作品まであって、そこかしこに北斎の名残が色濃く感じられます。
 このような鴻山との文化的なつながりがあったからこそ、北斎は浮世絵師として生きにくくなっていた江戸を離れ、遠路はるばる長旅をすることもいとわず、小布施を目ざしたのでしょう。
 そして、小布施でようやく自由に作画に取り組む環境を得た北斎は、鴻山の資金的な援助もあって、思うままに筆を進めた……。その結果が、老齢には至難の業(わざ)である巨大な天井画や祭屋台の緻密な天井絵として残っているのだと思われます。
 北斎が最後に得た自由な空気と、創作に対する意欲が残っているかのような小布施――。天才絵師・北斎の名残は今もなお、そこかしこに感じられます。
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左/「高井鴻山記念館」に展示されていた、北斎の下絵を元にして鴻山が描いた『象と唐人図』。右/離れの「伝 碧漪軒(へきいけん)」は近年の研究で「翛然楼」の一部であったことがわかってきている。

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高井鴻山記念館

 北斎を小布施へ招いた豪農商・高井鴻山の屋敷を残し、展示室を併設した記念館」は、北斎と小布施の関係を知るためには欠かせないポイント。北斎に師事し、稀代の天才を大切にもてなした鴻山は、一方で小布施の振興に深くかかわり、多才な人々と交わっていたことがよくわかります。
写真/「高井鴻山記念館」の展示室と外観。
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長野県上高井郡小布施町小布施805-1 地図
☎026-247-4049
高井鴻山記念館・小布施町公式ホームページ
開館時間/9時~17時(5月1日~8月3日は18時まで、9月1日~11月3日は17時30分まで、1月1日は10時~15時) 休館日/12月31日 
入館料/300円 
アクセス/長野電鉄「小布施」駅より徒歩約10分

 豊かな山間の自然に抱かれた信州・小布施には葛飾北斎の名残が今も色濃くただよっています。
 位置関係を説明すると、「岩松院」が多少離れているものの、「北斎館」と「高井鴻山記念館」は中心街に隣接。
 そこでおすすめしたいのが、午前中に岩松院を参拝してから『八方睨み鳳凰図』を拝観し、午後に中心街を散策するというコースです。
 小布施駅から岩松院まではタクシーですぐ。そこから北斎館と高井鴻山記念館がある中心街までは、ゆっくり歩いてみてください。
 リンゴ畑やブドウ畑、栗の林を眺めながらの散歩道は、小布施の土地柄を知るのにちょうどいい道のりとなってくれるはずです。この栗こそ、小布施を有名にしている名産で、栗が旬を迎える秋は小布施が最もにぎわう時期。小さなエリアは活気に溢れます。
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信州らしい景色に囲まれた小布施の街。桜井甘精堂「北斎亭」の暖簾に北斎筆の絵手本を発見!
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小布施で知る、北斎と鴻山の功績

 この繁栄の礎を築いたのは、だれあろう高井鴻山その人。北斎との交流で小布施の名を広く知らしめた鴻山は実は、現在も続く人気菓子店「小布施堂」と「枡一市村酒造場」を経営してきた市村家の12代目の当主。昨今では和モダンを極めた宿泊施設「桝一客殿」でも知られています。
 鴻山は幕末から明治維新の動乱期に、高井家の財力をつぎ込んで街を支え、飢饉の際には困窮者を救済し、慈善家として社会に深く関わるなど、地元の発展に尽くしました。
 その尽力があったからこそ、小布施は現在、北斎の街、栗の街として全国的に知られる存在となりえたのです。
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北斎の足跡がここに!

 小布施堂本店は高井鴻山記念館に隣接していて、正門は葛飾北斎が滞在していた当時からのもの。鴻山を訪ねて北斎が通ったことを想像すると、北斎がいっそう身近に感じられます。また、小布施堂の商品パッケージには、北斎がデッサンした動植物がセンスよく用いられていて、北斎の旅のおみやげにもぴったりです。
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北斎と鴻山にゆかりの深い「小布施堂」。本店の正門は北斎が逗留していた当時のもので、この門をくぐって北斎が鴻山に会いに来ていたとか。
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小布施堂本店のレストランでぜひ味わいたい、「まろやかのこ」と抹茶のセット530円(税込み)。小布施堂の菓子には、北斎が描いた絵が用いられている。獅子の絵柄は栗羊羹(1本)1,134円(税込み)
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北斎も堪能!? 小布施自慢の〝栗〟

 秋の小布施でぜひ味わいたいのが絶品の〝栗〟です。
 小布施の栗は粒が大きくふくよかな甘みが特徴で、自然な味わいを生かした美味は小布施堂をはじめ、竹風堂、桜井甘精堂など、古くからこの地で店を構える老舗で独自の美味に仕上げられていて、目移りしそうなほどです。
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竹風堂」のできたて栗強飯 折詰(約1人前)864円(税込み)。食事処・喫茶も併設。
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並んでも食べたい!栗モンブラン

 「傘風楼」では秋の一時期だけ、栗だけを用いたモンブラン「栗の点心 朱雀」を提供していて行列必至で、露店の焼き栗も見逃せません。
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北斎館の向かい側に位置する「傘風楼」で旬の時季だけ提供される「栗の点心 朱雀」1,000円(税込み)お茶付き。中心街に立つ露店で売られている焼き栗も絶品!
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真田丸のルーツを訪ねて、信州上田・別所温泉を旅する
 北斎の足跡から美味しいものまでコンパクトにまとまった秋の小布施は、ちょっと旅してみたいときに最適な場所。芸術の秋、食欲の秋を存分に味わうことができます。
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酒蔵の一部を改装した和風レストラン「蔵部」。オープンキッチンの店内では炉端焼きやかまど炊きのごはんなど、日替わりメニューが多彩。この地ならではの味覚を堪能することができ、酒蔵でつくられた日本酒もそろっているので、ついつい長居してしまいそう。

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