2016年8月31日水曜日

富嶽三十六景

相州江の島
北斎の富嶽三十六景に「相州江の島」がある。
右手の奥、駿河湾の先には富士山が小さく描かれている。
江戸時代には、江島神社の弁天信仰が関東一円に広まり、芸能上達、福徳円満、
海上安全の神として、参詣者を集めた。今のような橋はなく、砂洲を行く人が
きらきらと光り輝くような波に見守られるように描かれている。島の入り口には
2基の大きな燈籠が見え、参道にはの木が連り、木々の間に見える三重塔が島を
見渡すかのように建っている。橋がない以外、あまり今とは変わりがない風情である。
もっとも当時の人は信仰が主であったろうが、今は観光が主であり、人の心根は
大きく変わった。

丸子のとろろ汁を味わった後、府中、江尻、さらには由井、吉原へと
ひたすら歩いた。江尻の街では、北斎の富嶽三十六景の絵が思い浮かんだ。
駿州江尻、富嶽三十六景の中でも一番好きな絵だ。
するすると懐紙が風にあおられて、女の袂から飛んでいく。一方では、菅笠が
頭に台座だけを残して遠く飛ばされている。突然の大風によって慌てる旅人が
生き生きとした様子は、一度見たら忘れられないほど印象がある。風が絵の
中から吹きわたって来る、いつもこの絵を見ると感じる。それにあわせて、
「大変だ、大変や、早く荷物を取ってきて、、、」慌てふためく様々な声が
聞こえても来る。写実的で躍動感あふれる人々と対照的に、やや太めの線一つで
描かれた悠然たる富士の対比は何とも言えないアンバランスなそれでいて
一つのフレームの中では見事な調和感のある浮世絵だ。
江戸時代、江尻は東海道の宿場であり、画面中央に祠があることからその
右手が「姥が池」付近でであるといわれている。
だが、何もない。すべてが時の溝に吸い込まれたかのようである。

東海道程ヶ谷
程ヶ谷は現在の神奈川県横浜市にあった東海道の宿場。品野坂の老松越に富士山を
遠望する。画面右に見えるのは、豊穣や息災を願って建てられた庚申塚で、
土留を施した塚の上に「青面金剛」の石像をまつる。地平線が画面の下から
三分の一のところに設定されてことから、鑑賞者は中央に描かれた馬子のように、
富士山を仰ぎ見るような錯覚に陥る。リズミカルに反復される松並木の枝葉
の三角形は、富士山の形に呼応する。


身延川裏不二
身延川は富士川の別称で、現在の山梨県見延町付近の富士川のことである。
旅人が行くのは駿州往還で、甲府と東海道の興津宿を結んだ。また身延山
久遠寺への参詣の身延道でもあった。川からあふれ出るような水の量感
と、点で表現した水しぶきの濃淡はまるで渓谷の流れのようである。
水面から湧きあがる雲から姿を見せるのは、富士川の左岸に隆起した崖である。
このあたりには、屏風岩、舟取りの岩、お老勢岩といった岩場も多い。
山が近くに迫るため、富士の姿も見え隠れする。

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