2017年2月10日金曜日

広重(日本人の心の歴史より)

広重は浮世絵師として遊女の立ち姿、座り姿をも多く描いた。遊里ももまた役者も描いた。
然し遊女の背景には必ずと言ってよいほど四季折々の自然が書かれている。
丹波氏(広重一代)はこれを「人物風景画」と言っている。然し風景が風景として独立し、
人物が点景となっている画の方が一層に面白い。彼は月雪花を描いた。好んで富士山を
描いた。川、橋、海、入江、船を描いた。なかんずく雨と雪を描いた。広重には鳥や魚
を写生風に、また写真風に描いたものが多いが、風景画、殊に雨と雪に対しては写生を
脱して抒情が抒情のままに現れている。広重は雨と雪の画家と言ってよいと私は思うのだが、
その雨と雪の湿った風景の中に、湿った抒情がにじみ出ている。
試みに「東海道五十三次」の中の「蒲原夜の雪」を観ようか。
前景に傘を半すぼめにして杖をついた人が一人、蓑笠姿の二人と反対方向に歩んでいる。
背景には小高い山が四つ五つ重なっていて空は暗く、その中に残り雪が舞っている。
屋根に重そうな雪をかぶった家が十軒ほど。雪の重みをおびて円く柔らかい
屋根の線を見ていると、その下に、静まりかえって、声を立てずに暮らしている人たちが
想像に浮かぶ。そして三好達治の羞恥の詩、「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ次郎の屋根に雪ふりつむ」がおのずから連想されてくる。
「名所江戸百景」中の「大はしあたけの夕立」、「東都名所」の中の「日本橋の白雨」
「東海道五十三次」の中の「庄野山雨」、ともに雨を描いて遺憾がない。そしていずれも
雨の中に動く人々の姿が俳諧風に添えられている。

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