2016年6月10日金曜日

赤坂、二川

「今日は赤坂の大橋屋で泊まりだ」と、東海道五十三次でも歌川広重の浮世絵に
描かれたという旅籠を探し始めていた。
「こんな気持ちであと続くの」の気持ちを抱きながらも、東海の明るさは我を
して痛みのある足と体を叱咤激励している。
だが、その大橋屋の前に立つとその古さゆえの落ち着きか、心の乱れ、わだかまり
は少し軽くなった。さすが、三百年近くの佇まいは我が身にのし掛かるように
時代の力を見せ付けている。二階建ての佇まいは、大橋屋と書かれた格子戸と庇が
長く道路に伸びている。その独特の造りに少し気遅れしながら、重量感のある引き戸
を通ると黒光りした床と黒ずんだ天井に迎えられた。上がり口には、どういう訳か
いかにも時代を経てきた趣の火鉢が置かれている。奥から私と同世代であろうこの屋
の主人が出てきた。小柄ながら髪は黒々としており、少しかがみ腰で如何にも旅籠
の主と言う雰囲気が気持ちよかった。

広重の浮世絵にある旅籠の内部を描いた絵では、
蘇鉄と万灯籠の中庭を囲むようにして寛いでいる旅人と隣の部屋の飯盛り女の
化粧をしている姿が描かれている。一風呂浴びた男が廊下をノンビリと歩き、
部屋には按摩と夕食を運んできた仲居、煙草を吸い寝転がっている男、階段
には二階から降りてくる客の足が見える。
多分、今でも余り変わらない旅の寛ぎの一刻の情景がある。
東海道五十三次赤坂の光景がそこにあった。広重の浮世絵の世界は、当時の香りを
今も見るものにそよ風のごとく送ってくる。
岐阜から岡崎に出たあたりから出来れば浮世絵の場所に行ければ、と思い始めていた。

五十三次の浮世絵はいわば、当時の旅のガイドブック。今昔の妙をどこかで
味わえるのでは、そんな考えがわいてきた。家を出たときの気持は、微妙な変化を見せ
始め、足の痛さは相変わらずであったが、心の重さとその苦痛ははるかに軽くなってい
た。さらに、この絵のように旅の持つ、日常とは違う自分、今と言う一瞬から過去の薄
黒い記憶の表層を剥ぎ取るような力に期待を持ち始めていた。
ただ、それは、初夏の蒼き空が瞬く間に雲に覆われ、薄い光の下でこの変化に怨嗟を
送った日の想いと同じ様になるかもしれない。

その一歩を、現在も商売をしていると言う「大橋屋」、この浮世絵の宿だそうだが、
ここで過ごすことにした。幸い泊まれると言うことだ。
今は二階の5部屋が客室であり、様子は大分変わったのであろう。
しかし、通された部屋は障子から薄日が柔らかく差し込み、床の間には花が一輪
さされた静かな空間であった。



親切な受付の人が広重の「東海道五十三次二川」にも描かれている
柏餅の中原屋が近くにあると聞き、そこで、一服し、食す。甘さが適度であり、
満足できたが、今日までの疲れが身体全体を支配している様である。

広大な原野に小さな松が無数に見え、緩やかな丘陵に松が二本ほど悄然と立っている。
薄き青さを保った霧にその多くは隠され、カラスの声が聞こえそうな荒涼たる情景
である。左隅の茶屋には「名物かしわ餅」と書かれた看板、旅人が一人、それを
所望して要る様でもある。画の中央近くには三味線を担いだ三人のゴゼがお互いを
庇うように茶屋の方に向っている。そろそろ浜名湖に近くなり、その景観は変わる
のであろうが、荒涼とした風景とうら寂しい人生を心に秘めたゴザたちの織り成す
情景とそこから発せられる哀歓に心惹かれる、広重五十三次の二川の光景である。

当時はこの辺りは鬱蒼たる原野が続いていたとも言われ、東海道名所図会には、
小松が多く生える景勝の地として紹介されていると言う。今、眼の前には緑一面の
畑が遠くまで続いている、広重がいまこの地の情景を見たら、その変貌の激しさに
吃驚するであろう。この絵の面影は何処にも残っていない。
かしわ餅といえば、葛飾北斎も「五十三の内白須賀」にかしわ餅の店の絵を描いて
いる。艶かしい感じの女性と半裸になった男が餅をこねている様子が面白い。
彼は、まだ残る体の痛みと足のそれを感じながらも、浮世絵の情景を思い起こして
いた。
実は、彼には、この地には、三つの思いがあった。「中原屋、和田屋というかしわ餅
の店、本陣跡、湖西と言う名前の地」だった。もっとも、こちらは「こさい」と
呼ぶらしいが、同じ湖西、しかも大きな湖を構えている。
いずれにしろ、百年以上時を隔てても、人の生業は変わらずに続いている。
浮世絵からは、その時代の匂いがそこはかとなく湧いて来る。

2016年6月4日土曜日

浮世絵「東海道五十三次之内鞠子」から見る「とろろ汁

やがて、右手に藁葺き屋根の建物が徐々に見えてくる。
昨晩、旅館に泊まっていた青年に聞いたお店がある。
彼もこの東海道を歩く人であった。「丁子屋」とある。
東海道では、結構有名らしく、松尾芭蕉の句の中にも、歌われているし、
歌川広重「東海道五十三次之内鞠子」にもその情景が描かれている。

店には、客が二人、旅人であろうか、とろろ汁を肴に一杯やっている
様でもある。店の奥の巻き藁に串刺しの川魚があり、旅人はこれで旅の
疲れを食事と酒で癒すのでもあろう。子供を背中におった女が何かを差し
出し、その表情からのどかさが伝わってくる。
思わず頬の緩むのを禁じえない。
店の前には、「名物とろろ汁」と書かれた立て看板があり、店の右の障子
には「御茶漬け」「酒さかな」、軒先の看板には「御ちやつけ」とある。

東海道五十三次丸子の情景を描いた広重の浮世絵、モノクロのトーンで
描かれた藁葺きの店や家と後景の山にそれらの人物が浮き出たように上手く
配置されている。
庭先には梅が花を咲かせ、藁屋根には番の鳥が止まり、春ののどかさが
伝わってくる。さらに左には、蓑と菅笠を棒に差して肩にかけ、ゆるりとした
趣で歩いていく農夫の姿がある。春の少し生ぬるい風が吹き抜けて行くようだ。

松尾芭蕉も「梅若葉 丸子の宿の とろろ汁」と言う句を詠んでいる。
自然薯は早春に採れるそうだが、店の横にある梅にも、白き蕾が咲こうとして
いる様でもある。甘き梅の香りが彼を通り過ぎた、そんな感じがした。
かれは、この絵を大分前に五十三次の中で見つけていた。そして、今でも
「丁子屋」として、とろろ汁を出している事を知った。とろろ汁のあの独特の
舌触りがはっきりと口の中に浮かんできた。浮世絵の世界を感じながらの旅、
東海道に入ってからの心の変化を更に強めている様でもあった。
心に明るさが灯り始めていた。背景にある山並は浮世絵のものに近く、まだ、
江戸時代の名残は生きている。ここでは、近くで採れた自然薯をすりつぶした
とろろ汁が、白味噌風の味とともに、人気がある

「葛飾北斎はやはり素晴らしい!!」

「葛飾北斎はやはり素晴らしい!!」
作品の味わい方は当然として、北斎の人となりについても、
まだまだ、知らないことが多い。
ここでは、永田正慈氏の「葛飾北斎」を中心に、少し整理していく。
しかし、葛飾北斎の凄さは、
「七十三歳にしてやや禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり故に
八十六歳にしては益々進み九十歳にしてなおその奥意を極め
百歳にして正に神妙ならんか百有十歳にしては一点一格にして
生きるがごとくならん願わくは長寿の君子予が言の妄ならざる
を見たまうべし」と喝破する絵画への圧倒的な執着であろう。
65歳以上を高齢者と呼び、ある意味、社会から廃絶しようと
する現状で、個人的にも、学ぶべき点は多い。
1)好きな作品について
多くの人は、葛飾北斎を「富嶽三十六景」を描いた風景版画の浮世絵師
程度にしか認識していないようである。しかし、「富嶽三十六景」等の
結構知られている錦絵が描かれたのは、晩年の4年間に集中している。
むしろ、作品としての面白さを味わうのであれば、更に、視野を広げた
鑑賞が必要である。
しかしながら、「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)
は、嵐の中遠景に見える富士山は、どっしりとした不動の富士であり、
波が押し寄せてくる瞬間をとらえた、鷹の爪のような波頭の迫力は
この作品の魅力でもある。
しかも良く見ると、荒れ狂う海の中、おしおくり船を必死に漕ぐ人々がおり、
拭き下げぼかしなど、版木ではなく摺師が水分の調整でぼかす、高度な
技術が必要な部分でもある。
現在の横浜本牧沖から富士を眺めた図。
更には、全国の有名な滝を描いた作品が好きである。独特の形態をした滝の
美しさは比類がない。更に、今後実施したい自己回帰の旅のこともあり、
興味のある作品である。
「諸国滝廻り」は、全8図からなり、江戸近郊にとどまらず日光、木曽の奥
や東海道筋筋の鈴鹿峠、吉野など諸国の名瀑を題材にしたものであり、山岳
信仰や阿弥陀や観音が祀られている滝など、信仰の対象となっている滝
が選ばれている。ただ、その土地を描いたというよりは、むしろ滝を通して
水の表現に挑んだ作品と言える。普通ではとらえがたい水という対象物を
自由自在に描き分ける北斎独自のデザイン力が素晴らしい。
これらの水表現は、北斎がそれ以前に手がけた「北斎漫画」や「新形小紋帳」
といったデザインの見本帳にその端緒を見ることができ、何年もかけて水と
いう対象物を研究してきた北斎の集大成の一つが「諸国滝廻り」であり、
個人的にも、「諸国瀧廻 り」の中の日光の「上野黒髪山きりふりの瀧」は、
この滝の特徴を良く捉えており、数百年前の同じ景観を味わうと言う点でも
興味がある。また、美濃国養老の滝(岐阜県養老郡養老町)は、貧しい
ながらも親孝行な樵(きこり)がこの水を年老いた父親に飲ませたところ
お酒に変わったと言う孝行息子の伝説を秘めた滝としても有名であり、現在
では、日本の滝百選や名水百選にも選ばれる名所でもある。
この作品は、空を濃紺にし、画面中央に正面切って直下落去する滝を見事
に描いており、「森羅万象尽くして描かざるはなき」と言われた北斎の水
表現は、流石です。
潮干狩図は、肉筆画でも、最高と思われる。
本図の女性は、文化年間後期以降の北斎美人画にしだいに顕著となる退廃的な
雰囲気、ちりちりとした独特の線質、やや歪んだ体躯の造形といった特徴が
まだ明らかではなく、健康な上品さを保っている。
三人のうちには眉をそり落とした年輩の女、桜の模様の小袖を着た年長の娘、
黒地の振り袖を着た若い娘と、衣装風俗に巧みに年齢差が表現されており、
裕な町方の母親と子どもたちが三月三日の潮干狩に興じる様子を表した
ものの様である。
女たちを含めた右側の人物群が一様に砂の上の貝に注意を向け、左側の
少年たちは砂を掘る手元に関心を集中することにより画面に緊張感が
もたらされている。
肉筆画が版画とは異なり、個人による注文制作であった可能性がある。
更に、本図のもうひとつの特徴は、当時司馬江漢等によって喧伝された
新しい洋風画の技法を学んだ広大な風景表現である。
濃い青色の空、山々からわき上がるような白いちぎれ雲、青色と灰色
で表される遠山といった遠景の描写にはとくに洋風画の技法の影響が
強くみられる。本図は、北斎の美人画、風俗表現および風景表現の特質
が融合した希有な作例である。
「北斎花鳥画集」は、その構図や表現方法で、ただ、花と鳥を描写する
だけでなく、自然の中での風・空気・時間までを表現しようとしている。
静止した瞬間をとらえた図と風で動いている一瞬を描写した図の二種類
があり、その計算され尽くされた構図は、北斎ならではの世界であり、
描線の一本一本にも細かな精神が行き届いている。11図あるようで
あるが、その構図を他の、例えば、富嶽三十六景など、絵と比べると
似たような手法も多く、中々に、楽しい。
千絵の千絵の海について
葛飾北斎の場合は、広重の目指した名所絵を描くこととは、基本的なスタンスが
が違う。富嶽三十六景でも、この千絵の海でも、対象物を気象、季節、
その視点などの様々な条件下で、捉え、その都度、異なる情景を描き出そう
としている。
千絵の海は、全10図あるが、変幻する水とともに漁にいそしむ人々の姿が
いきいきと描かれている。 特に私の好きなのは、「総州銚子
(そうしゅうちょうし)」で、岩場に打ち上げられ、砕け散る波しぶきが
大変ダイナミックに描かれているのが良い。
激しくぶつかって砕ける波の表現。細かい飛沫、波の勢いに負けないよう、
船上の人々は力一杯櫂をこいでいる。押し送り船と呼ばれる漕帆両用の小型船。
漁獲された鮮魚を江戸へ高速で輸送するために用いられたとのこと。
難易度の高いぼかしは摺師の腕の見せどころ。このぼかしによって、
水の深さや広さが見事に表現されている。
その略歴と作品概観
1)勝川春章への入門
多くの人は、その名前を知らない人であるが、しかし、浮世絵の世界では、
欠くことの出来ない名手である。
ただ、錦絵が完成されてから活躍した6人の浮世絵師には、入っていない。
鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重の6人。
まずは、勝川春朗(しゅんろう)として、デビューした。
作品的には、あまり個性的な特徴がない、といわれている。
また、密かに狩野派の画法を学んでいると師匠に疑われ、破門される。
2)宗理の時代
勝川派から独立し、狂歌の世界と深く結びつきながら、宗理様式と呼ばれる
独自の画風を挿絵、肉筆画などに残した。
ただ、全体としては、狂歌絵本の挿絵や摺物が重点となって行く。
ここで、作品概要について、少しまとめる。
①読本挿絵  物語について挿絵の効果は大きく、その数量も多い。
「新編水滸伝」「増補浮世絵類考」「七福神図」などがある。
この読本挿絵は、「増補浮世絵類考」に代表されるが北斎の業績
としては、大きい。「椿説弓張月」は、滝沢馬琴との連携で29冊を
書き上げた。
②摺物、狂歌絵本の挿絵  狂歌との連動
「七里ヶ浜図」「画本東都遊」「美やこ登里」「潮来絶句集」などがある。
狂歌絵本としては、「画本狂歌 山満多山」があるが、
「絵本隅田川両岸一覧」は、全図が鮮やかな彩色摺で、宗理様式の風俗
描写が見事な作品である。
摺物では、「休茶屋」「春興五十三駄之内」「狂歌師像集(美人画集
のようなもの)」 
宗理美人と呼ばれる清楚な雰囲気の美人が特徴。
③肉筆画 
宗理時代には、②と③が多くなっているが、画狂人という号を
使い始めた頃から三美人図などの肉筆画が多くなってきた。
「見立三番 風俗三美人図」「魚貝図」など
④黄表紙挿絵
草草紙の1つであり、流行した通俗的な絵入り読み物の総称。
「金々先生栄花夢」などの洒落本を中心に展開していく。
⑤錦絵   非常に少ない
なお、北斎は、妙見菩薩という北極星を神格化した熱心な信仰者
であり、その作画活動のエネルギーであった。 
また、「画狂人」という号を使い始める。  
北斎は、その揃物でも、東海道揃物を7種類ほど出しており、
東海道に対しては、多作であった。
注目される摺物錦絵がある。
洋風表現を取り入れた風景画。
「江ノ島図」「「賀奈川沖本杢(ほんもく)之図」がある。
これらには、板ぼかしと呼ばれるぼかし手法が多用され、大胆な
表現となっている。これは、後の「富嶽三十六景」へとつながる。
3)文化中期の時代
肉筆画が多くなる。
「二美人図」は宗理様式の美人図として、随一の傑作と言われている。
「獅子図」は、墨絵で、一気に描かれた。
肉筆画の代表作品としては、「潮干狩図」で、唯一の重要文化財に
指定されている。これは、潮の引いた砂浜で、大人や子供がいる光景
を違和感のない透視図法で、伊豆の山並や富士山を遠望している。
ほかにも、多様な手法が使われており、近景は、宗元画の漢画描法、
遠景は、油彩画手法で描かれている。
また、この頃、絵手本「北斎漫画」の初版を出す。
絵手本とは、画様式や技法をマスターするための指針であり、
多くは、特定の絵師や弟子のためにだけで肉筆で描いた。
しかし、北斎の場合は、門人や地方の支援者の習作のために、
また、葛飾派の画風を普及させるために、作成した。
北斎漫画は、10編に追加の5編がある。
なお、略画式の「紅毛雑話」では、鳥、動植物、虫、魚など
掲載もしている。
錦絵では、「東海道名所一覧「木曾名所一覧」「江戸一覧」
などを俯瞰図の形で、宿場の町並み、細かな人物までを
描いている。
4)錦絵の時代
1830年からの4年間がこの時代と考えられている。
「画狂老人」の号をこの前後から使っている。
しかし、「富嶽三十六景」等の風景版画や多くの錦絵がこの時代に
描かれている。
主な錦絵の分類
・風景画(富嶽三十六景)
・名所絵(江戸八景)
・俯瞰図(百橋一覧図)
・古典画(詩歌 写真鏡)
・花鳥図(百合、芙蓉に雀)
・武者絵
・化け物絵
・雑画
・玩具絵など
特に、「富嶽三十六景」は、広重の東海道に比して、大きく違うのは、
富士と言う対象物を気象、季節、視点など様々な条件下で、捕らえ、
その都度、異なる山容の表情に最大の興味を持っていることにある。
これは、同時期に描かれた、
①千絵の海
各地の漁撈を画題とした錦絵。変幻自在する水の表情と漁業に
たずさわる人が織り成す景趣が描かれている。全12図。
既に、無くなった漁労の風景が生き生きと描かれており、古き
日本の風物詩が語れている。
②諸国滝まわり
落下する水の表情を趣旨として全国の有名な滝を描いた。全8図。
相州大山ろうべんの滝(神奈川県伊勢原市大山の滝)
東海道坂の下清流くわんおん(三重県亀山市関町坂下)
美濃国養老の滝(岐阜県養老郡養老町)
木曽路の奥阿弥陀の滝(岐阜県郡上市白鳥町、日本の滝百選。白山の参拝)
木曽海道小野の瀑布(長野県木曽郡上松町、現存)
和州吉野義経馬洗い滝(奈良県吉野郡あたり、滝はなし)
下野黒髪山きりふりの滝(日光市、現在は日光3名滝)
東郡葵ケ岡の滝(東京、赤坂溜池)
③諸国名橋奇覧
全国の珍しい橋を画題とした11図。
摂州安治川の天保山(大阪、天保山)
足利行道山くものかけ橋(足利の行道山)
すほうの国きんたい橋(山口県の錦帯橋)
越前ふくいの橋(九十九橋、福井市)
摂州天満橋(大阪天満橋)
飛越の堺つりはし(飛騨と越中の国境)
かうつけ佐野ふなはし古図(群馬県佐野市)
東海道岡崎矢はぎのはし(三河の岡崎)
かめいど天神たいこばし(亀戸)
山浅あらし山吐月橋(京都嵐山渡月橋)
等にもいえる。
5)晩年
北斎の作画に対する気概。
「己6歳より物の形を」写す癖ありて半百のころよりしばしば
画図を顕すといへども七十年前描く所は実に取り足るものなしに
七十三歳にしてやや禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり故に
八十六歳にしては益々進み九十歳にしてなおその奥意を極め
百歳にして正に神妙ならんか百有十歳にしては一点一格にして
生きるがごとくならん願わくは長寿の君子予が言の妄ならざる
を見たまうべし
八〇歳を超えてからは、動植物や宗教色の強い内容、古事古典などを
描くようになった。
肉筆画の手本となるような「肉筆画帖」を製作している。
また、絵手本では、「画本彩色通」によって、今までに修得した作画
への知識の全てを開陳しようとした。
動植物や文様、西洋と尾東洋の明暗法等の描写法、泥絵、硝子絵、
油彩画の絵の具の調合法など当時としては、秘密にすべき内容を
解説まで加えている。
最後の大作「須佐之男命厄神退治之図」「弘法大師修法図」の
2つを描いている。
辞世の句
「飛(ひ)と魂(たま)でゆくきさんじゃ夏の原」

「葛飾北斎の凄さ!」

「葛飾北斎の凄さ!」

北斎の浮世絵にであったのは、かなりの昔であった。
長野の小諸までも見に行った。
暫くは、展示会があれば、行くことが多かった。
最近、葛飾北斎をもっと知る事が、浮世絵の世界の見直しと思うと
同時に、90歳程まで、徹底した自身の作品追求の姿は、
自身に対して大甘な自分にとっても、大いに学ぶべき事が多い。
・その信条と気概
己六歳より、、、、、八十六歳にしては、益々進み、九十歳にして
その奥義を極め、百歳にしてまさに神妙ならぬ人なり。
この絵に対する執念、追求心、そしてその傲慢さは、素晴らしい。
例えば、
人物を描くには、骨格を知らねば真実とはなり得ない、と言うことで、
接骨家名倉弥次郎に入門した。
絵画には、ヨーロッパを中心に、色々な流派の、色々な
題材のモノが多数ある。
昔、元西洋近代美術館館長の高階さんから光の三原則を
基本とする印象派の話を聴き、西洋絵画の奥深さを知った。
浮世絵は、私にとって、
それとは、一線を画するものだ。
もとは、今の人気雑誌の類であったのだろう??
人気役者、江戸の風物詩などを大衆?に広く見せるためであったのだから、
その実力は察しがつく。
しかし、北斎、歌麿、チョット違和感のある写楽などの作品を見ていると、
日本土壌でしか育たない細やかさとイマージュを高める世界観があると思った。
有名な富嶽三十六景や潮干狩図の作品に多様されている遠近感を存分に使った
シンプルな構成と見る人にイマージュを沸かすテーマの設定は、他の絵画の比
ではない。
また、基本は、版画を何枚も重ね絵とした多層、多色のもであり、厳密には、
その出来は、一枚、一枚違うのである。
この多様的な出来が、個人的には好きである。
今流では、大量生産の江戸時版だろうが、実は、個別生産型なのである。
浮世絵に惹かれるのは、昔、まだ、モノクロ全盛時に、自身で出向いて撮った
写真の現像から作品作りまで、やっていたことが大きな影響を持っていると思う。
浮世絵を見ていると、流石と思うものの多くは、そのフレーム切り出しの上手さ。
シンプルな中にも、情景、例えば、滝の音、雨脚の速さ、小舟の動きなどが
見る人各様に迫って来る様ではないか……
そして、好きなのが、肉筆画の凄さである。「潮干狩図」に見られる透視画法、
等の和漢洋の表現方法や技法の混然一体の作品や晩年の「肉筆画帖」にある様な
その精密な描き方は、北斎にして、画狂老人と言わしめた執念の凄さにある。
この点、浮世絵とは違いがあるが、伊藤若冲の超リアリティは、同次元で、
驚嘆に値する。リアリティを徹底追求するためなのか??その表現技術は、
誰も真似の出来ない領域かもしれない。
西洋や中国などの他国にはない、美意識、文化的土壌である。
写真は、光の加減を撮影対象と自身のイマージュに、如何に合わすのか、
に自身の才能を発揮し、
現像液の持つ粒子を自身の想いに合わして、作り上げていく事が、基本となる。
そこに、表現方法の多様性が出て来る。
土門拳さんや木村伊兵衛さんの作品を見ているとそれを強く感じる。
写実性と言う点では、少し違うのでは?との意見もあろうが、
肉筆画などを見ていると、同根にある様な気もする。
チョット、素人的発想かも。
浮世絵には、全面的とは言えないが、それがあり、出来るのである。
おなじ、原画であっても、年代を経て復刻された作品が、以前の
ものと違うなー、と感じた方もおられるはず。
浮世絵理解のベースには、日本人としての、共通項がある。
これを日本文化、その美意識の発露と捉えてもよいはず。
・個人的に興味ある作品
以下の作品は、錦絵として、描かれているが、「対象物が持つ
本質をあらゆる角度から捉えようとしている」視点の違いが
広重の東海道53次と本質的に違うのでは、と思う。
1)富嶽三十六景
富士山を主題、46図。凱風快晴(通称赤富士)、神奈川沖波裏 など。
収集家にとっては、その構図、色使いなど素晴らしいのであろうが、
江戸時代の庶民の生活風景、江戸の賑わいなど、チョット違う
視点で見ていると結構面白い。
2)千絵の海
各地の漁撈を画題とした錦絵。変幻自在する水の表情と漁業に
たずさわる人が織り成す景趣が描かれている。全12図。
既に、無くなった漁労の風景が生き生きと描かれており、古き
日本の風物詩が語れている。
3)諸国滝まわり
落下する水の表情を趣旨として全国の有名な滝を描いた。全8図。
相州大山ろうべんの滝(神奈川県伊勢原市大山の滝)
東海道坂の下清流くわんおん(三重県亀山市関町坂下)
美濃国養老の滝(岐阜県養老郡養老町)
木曽路の奥阿弥陀の滝(岐阜県郡上市白鳥町、日本の滝百選。白山の参拝)
木曽海道小野の瀑布(長野県木曽郡上松町、現存)
和州吉野義経馬洗い滝(奈良県吉野郡あたり、滝はなし)
下野黒髪山きりふりの滝(日光市、現在は日光3名滝)
東郡葵ケ岡の滝(東京、赤坂溜池)
4)諸国名橋奇覧
全国の珍しい橋を画題とした11図。
摂州安治川の天保山(大阪、天保山)
足利行道山くものかけ橋(足利の行道山)
すほうの国きんたい橋(山口県の錦帯橋)
越前ふくいの橋(九十九橋、福井市)
摂州天満橋(大阪天満橋)
飛越の堺つりはし(飛騨と越中の国境)
かうつけ佐野ふなはし古図(群馬県佐野市)
東海道岡崎矢はぎのはし(三河の岡崎)
かめいど天神たいこばし(亀戸)
山浅あらし山吐月橋(京都嵐山渡月橋)
ともかく、北斎の凄さは、その対象ジャンルの広さと作品の多さにある。
読本挿絵、摺者、肉筆画、黄表紙挿絵、錦絵など、当時の絵に関する
ほとんどのジャンルを手がけ、しかも、そのレベルはとても高い。
北斎は、単なる風景画作家ではない。
個人的にも、更に深く知りたい人間である。