2016年6月4日土曜日

「葛飾北斎はやはり素晴らしい!!」

「葛飾北斎はやはり素晴らしい!!」
作品の味わい方は当然として、北斎の人となりについても、
まだまだ、知らないことが多い。
ここでは、永田正慈氏の「葛飾北斎」を中心に、少し整理していく。
しかし、葛飾北斎の凄さは、
「七十三歳にしてやや禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり故に
八十六歳にしては益々進み九十歳にしてなおその奥意を極め
百歳にして正に神妙ならんか百有十歳にしては一点一格にして
生きるがごとくならん願わくは長寿の君子予が言の妄ならざる
を見たまうべし」と喝破する絵画への圧倒的な執着であろう。
65歳以上を高齢者と呼び、ある意味、社会から廃絶しようと
する現状で、個人的にも、学ぶべき点は多い。
1)好きな作品について
多くの人は、葛飾北斎を「富嶽三十六景」を描いた風景版画の浮世絵師
程度にしか認識していないようである。しかし、「富嶽三十六景」等の
結構知られている錦絵が描かれたのは、晩年の4年間に集中している。
むしろ、作品としての面白さを味わうのであれば、更に、視野を広げた
鑑賞が必要である。
しかしながら、「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)
は、嵐の中遠景に見える富士山は、どっしりとした不動の富士であり、
波が押し寄せてくる瞬間をとらえた、鷹の爪のような波頭の迫力は
この作品の魅力でもある。
しかも良く見ると、荒れ狂う海の中、おしおくり船を必死に漕ぐ人々がおり、
拭き下げぼかしなど、版木ではなく摺師が水分の調整でぼかす、高度な
技術が必要な部分でもある。
現在の横浜本牧沖から富士を眺めた図。
更には、全国の有名な滝を描いた作品が好きである。独特の形態をした滝の
美しさは比類がない。更に、今後実施したい自己回帰の旅のこともあり、
興味のある作品である。
「諸国滝廻り」は、全8図からなり、江戸近郊にとどまらず日光、木曽の奥
や東海道筋筋の鈴鹿峠、吉野など諸国の名瀑を題材にしたものであり、山岳
信仰や阿弥陀や観音が祀られている滝など、信仰の対象となっている滝
が選ばれている。ただ、その土地を描いたというよりは、むしろ滝を通して
水の表現に挑んだ作品と言える。普通ではとらえがたい水という対象物を
自由自在に描き分ける北斎独自のデザイン力が素晴らしい。
これらの水表現は、北斎がそれ以前に手がけた「北斎漫画」や「新形小紋帳」
といったデザインの見本帳にその端緒を見ることができ、何年もかけて水と
いう対象物を研究してきた北斎の集大成の一つが「諸国滝廻り」であり、
個人的にも、「諸国瀧廻 り」の中の日光の「上野黒髪山きりふりの瀧」は、
この滝の特徴を良く捉えており、数百年前の同じ景観を味わうと言う点でも
興味がある。また、美濃国養老の滝(岐阜県養老郡養老町)は、貧しい
ながらも親孝行な樵(きこり)がこの水を年老いた父親に飲ませたところ
お酒に変わったと言う孝行息子の伝説を秘めた滝としても有名であり、現在
では、日本の滝百選や名水百選にも選ばれる名所でもある。
この作品は、空を濃紺にし、画面中央に正面切って直下落去する滝を見事
に描いており、「森羅万象尽くして描かざるはなき」と言われた北斎の水
表現は、流石です。
潮干狩図は、肉筆画でも、最高と思われる。
本図の女性は、文化年間後期以降の北斎美人画にしだいに顕著となる退廃的な
雰囲気、ちりちりとした独特の線質、やや歪んだ体躯の造形といった特徴が
まだ明らかではなく、健康な上品さを保っている。
三人のうちには眉をそり落とした年輩の女、桜の模様の小袖を着た年長の娘、
黒地の振り袖を着た若い娘と、衣装風俗に巧みに年齢差が表現されており、
裕な町方の母親と子どもたちが三月三日の潮干狩に興じる様子を表した
ものの様である。
女たちを含めた右側の人物群が一様に砂の上の貝に注意を向け、左側の
少年たちは砂を掘る手元に関心を集中することにより画面に緊張感が
もたらされている。
肉筆画が版画とは異なり、個人による注文制作であった可能性がある。
更に、本図のもうひとつの特徴は、当時司馬江漢等によって喧伝された
新しい洋風画の技法を学んだ広大な風景表現である。
濃い青色の空、山々からわき上がるような白いちぎれ雲、青色と灰色
で表される遠山といった遠景の描写にはとくに洋風画の技法の影響が
強くみられる。本図は、北斎の美人画、風俗表現および風景表現の特質
が融合した希有な作例である。
「北斎花鳥画集」は、その構図や表現方法で、ただ、花と鳥を描写する
だけでなく、自然の中での風・空気・時間までを表現しようとしている。
静止した瞬間をとらえた図と風で動いている一瞬を描写した図の二種類
があり、その計算され尽くされた構図は、北斎ならではの世界であり、
描線の一本一本にも細かな精神が行き届いている。11図あるようで
あるが、その構図を他の、例えば、富嶽三十六景など、絵と比べると
似たような手法も多く、中々に、楽しい。
千絵の千絵の海について
葛飾北斎の場合は、広重の目指した名所絵を描くこととは、基本的なスタンスが
が違う。富嶽三十六景でも、この千絵の海でも、対象物を気象、季節、
その視点などの様々な条件下で、捉え、その都度、異なる情景を描き出そう
としている。
千絵の海は、全10図あるが、変幻する水とともに漁にいそしむ人々の姿が
いきいきと描かれている。 特に私の好きなのは、「総州銚子
(そうしゅうちょうし)」で、岩場に打ち上げられ、砕け散る波しぶきが
大変ダイナミックに描かれているのが良い。
激しくぶつかって砕ける波の表現。細かい飛沫、波の勢いに負けないよう、
船上の人々は力一杯櫂をこいでいる。押し送り船と呼ばれる漕帆両用の小型船。
漁獲された鮮魚を江戸へ高速で輸送するために用いられたとのこと。
難易度の高いぼかしは摺師の腕の見せどころ。このぼかしによって、
水の深さや広さが見事に表現されている。
その略歴と作品概観
1)勝川春章への入門
多くの人は、その名前を知らない人であるが、しかし、浮世絵の世界では、
欠くことの出来ない名手である。
ただ、錦絵が完成されてから活躍した6人の浮世絵師には、入っていない。
鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重の6人。
まずは、勝川春朗(しゅんろう)として、デビューした。
作品的には、あまり個性的な特徴がない、といわれている。
また、密かに狩野派の画法を学んでいると師匠に疑われ、破門される。
2)宗理の時代
勝川派から独立し、狂歌の世界と深く結びつきながら、宗理様式と呼ばれる
独自の画風を挿絵、肉筆画などに残した。
ただ、全体としては、狂歌絵本の挿絵や摺物が重点となって行く。
ここで、作品概要について、少しまとめる。
①読本挿絵  物語について挿絵の効果は大きく、その数量も多い。
「新編水滸伝」「増補浮世絵類考」「七福神図」などがある。
この読本挿絵は、「増補浮世絵類考」に代表されるが北斎の業績
としては、大きい。「椿説弓張月」は、滝沢馬琴との連携で29冊を
書き上げた。
②摺物、狂歌絵本の挿絵  狂歌との連動
「七里ヶ浜図」「画本東都遊」「美やこ登里」「潮来絶句集」などがある。
狂歌絵本としては、「画本狂歌 山満多山」があるが、
「絵本隅田川両岸一覧」は、全図が鮮やかな彩色摺で、宗理様式の風俗
描写が見事な作品である。
摺物では、「休茶屋」「春興五十三駄之内」「狂歌師像集(美人画集
のようなもの)」 
宗理美人と呼ばれる清楚な雰囲気の美人が特徴。
③肉筆画 
宗理時代には、②と③が多くなっているが、画狂人という号を
使い始めた頃から三美人図などの肉筆画が多くなってきた。
「見立三番 風俗三美人図」「魚貝図」など
④黄表紙挿絵
草草紙の1つであり、流行した通俗的な絵入り読み物の総称。
「金々先生栄花夢」などの洒落本を中心に展開していく。
⑤錦絵   非常に少ない
なお、北斎は、妙見菩薩という北極星を神格化した熱心な信仰者
であり、その作画活動のエネルギーであった。 
また、「画狂人」という号を使い始める。  
北斎は、その揃物でも、東海道揃物を7種類ほど出しており、
東海道に対しては、多作であった。
注目される摺物錦絵がある。
洋風表現を取り入れた風景画。
「江ノ島図」「「賀奈川沖本杢(ほんもく)之図」がある。
これらには、板ぼかしと呼ばれるぼかし手法が多用され、大胆な
表現となっている。これは、後の「富嶽三十六景」へとつながる。
3)文化中期の時代
肉筆画が多くなる。
「二美人図」は宗理様式の美人図として、随一の傑作と言われている。
「獅子図」は、墨絵で、一気に描かれた。
肉筆画の代表作品としては、「潮干狩図」で、唯一の重要文化財に
指定されている。これは、潮の引いた砂浜で、大人や子供がいる光景
を違和感のない透視図法で、伊豆の山並や富士山を遠望している。
ほかにも、多様な手法が使われており、近景は、宗元画の漢画描法、
遠景は、油彩画手法で描かれている。
また、この頃、絵手本「北斎漫画」の初版を出す。
絵手本とは、画様式や技法をマスターするための指針であり、
多くは、特定の絵師や弟子のためにだけで肉筆で描いた。
しかし、北斎の場合は、門人や地方の支援者の習作のために、
また、葛飾派の画風を普及させるために、作成した。
北斎漫画は、10編に追加の5編がある。
なお、略画式の「紅毛雑話」では、鳥、動植物、虫、魚など
掲載もしている。
錦絵では、「東海道名所一覧「木曾名所一覧」「江戸一覧」
などを俯瞰図の形で、宿場の町並み、細かな人物までを
描いている。
4)錦絵の時代
1830年からの4年間がこの時代と考えられている。
「画狂老人」の号をこの前後から使っている。
しかし、「富嶽三十六景」等の風景版画や多くの錦絵がこの時代に
描かれている。
主な錦絵の分類
・風景画(富嶽三十六景)
・名所絵(江戸八景)
・俯瞰図(百橋一覧図)
・古典画(詩歌 写真鏡)
・花鳥図(百合、芙蓉に雀)
・武者絵
・化け物絵
・雑画
・玩具絵など
特に、「富嶽三十六景」は、広重の東海道に比して、大きく違うのは、
富士と言う対象物を気象、季節、視点など様々な条件下で、捕らえ、
その都度、異なる山容の表情に最大の興味を持っていることにある。
これは、同時期に描かれた、
①千絵の海
各地の漁撈を画題とした錦絵。変幻自在する水の表情と漁業に
たずさわる人が織り成す景趣が描かれている。全12図。
既に、無くなった漁労の風景が生き生きと描かれており、古き
日本の風物詩が語れている。
②諸国滝まわり
落下する水の表情を趣旨として全国の有名な滝を描いた。全8図。
相州大山ろうべんの滝(神奈川県伊勢原市大山の滝)
東海道坂の下清流くわんおん(三重県亀山市関町坂下)
美濃国養老の滝(岐阜県養老郡養老町)
木曽路の奥阿弥陀の滝(岐阜県郡上市白鳥町、日本の滝百選。白山の参拝)
木曽海道小野の瀑布(長野県木曽郡上松町、現存)
和州吉野義経馬洗い滝(奈良県吉野郡あたり、滝はなし)
下野黒髪山きりふりの滝(日光市、現在は日光3名滝)
東郡葵ケ岡の滝(東京、赤坂溜池)
③諸国名橋奇覧
全国の珍しい橋を画題とした11図。
摂州安治川の天保山(大阪、天保山)
足利行道山くものかけ橋(足利の行道山)
すほうの国きんたい橋(山口県の錦帯橋)
越前ふくいの橋(九十九橋、福井市)
摂州天満橋(大阪天満橋)
飛越の堺つりはし(飛騨と越中の国境)
かうつけ佐野ふなはし古図(群馬県佐野市)
東海道岡崎矢はぎのはし(三河の岡崎)
かめいど天神たいこばし(亀戸)
山浅あらし山吐月橋(京都嵐山渡月橋)
等にもいえる。
5)晩年
北斎の作画に対する気概。
「己6歳より物の形を」写す癖ありて半百のころよりしばしば
画図を顕すといへども七十年前描く所は実に取り足るものなしに
七十三歳にしてやや禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり故に
八十六歳にしては益々進み九十歳にしてなおその奥意を極め
百歳にして正に神妙ならんか百有十歳にしては一点一格にして
生きるがごとくならん願わくは長寿の君子予が言の妄ならざる
を見たまうべし
八〇歳を超えてからは、動植物や宗教色の強い内容、古事古典などを
描くようになった。
肉筆画の手本となるような「肉筆画帖」を製作している。
また、絵手本では、「画本彩色通」によって、今までに修得した作画
への知識の全てを開陳しようとした。
動植物や文様、西洋と尾東洋の明暗法等の描写法、泥絵、硝子絵、
油彩画の絵の具の調合法など当時としては、秘密にすべき内容を
解説まで加えている。
最後の大作「須佐之男命厄神退治之図」「弘法大師修法図」の
2つを描いている。
辞世の句
「飛(ひ)と魂(たま)でゆくきさんじゃ夏の原」

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